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講演「日本の文字・書体を創作する」草稿 [タイポグラフィ]

パリのInalco / Bulacというアジアの言語に関してフランス国内で知られた研究機関で10月27・28日に開催される「日本の文字・書体を創作する」と題した講演会でパネラーとして話すことになった。

その講演草稿である。

私の演題は

「漢字仮名交じり文」と「仮名による日本語のタイプフェイスのファミリー」

日本語表記「漢字仮名交じり文」と、それをふまえた「仮名による日本語タイプフェイスの多様化」について発表させていただきます。

小町良寛.jpg

私は40年ほど前に、「小町・良寛」と名付けた仮名をデザインしましたが、専門のタイプフェイスデザイナーではありません。普段は、グラフィックデザインやエディトリアルデザインを行っており。そこで使うタイプフェイスを必要に迫られてデザインしています。

図版は「小町・良寛」発表当時のパンフレットの表紙です。
右が「小町」、左が「良寛」です。

ある時、1980年頃だったと思いますが、歌人の若山牧水の短歌を題材に、いざ組版しようと思った時に、それに相応しいタイプフェイスが既存のタイプフェイスの中に見いだせず、しかたなく自らデザインしました。

幸いなことに、「ひらがな」を制作し、既存の漢字と組み合わせることで、目的は達成できました。
 
それが、切っ掛けで、日本語のタイプフェイスを「仮名」によって多様化する「仮名シリーズ」の制作を始めました。

日本の活字時代を代表する書体デザイナー君塚樹石(きみづかじゅせき)は

「仮名を書くのはむずかしいが、
漢字仮名交じり文において仮名のしめる部分が多くなっている。そこで多く使用されるひらがなの肉付き、ふところなど、ひらがなのスタイルをまず確定し、それを基本にすると漢字のスタイルはおのずからきまってくる。つまり漢字仮名交じり文の場合、ひらがなのスタイルによって、そこに表現される感じはがらりとかわるほど、仮名の影響は強い。」と語っています。

仮名の重要さと制作の難しさを語る言葉ですが、同時に「仮名を複数作り仮名を変えればそこに表現される感じはがらりとかわる。」つまり「仮名によるファミリー」の可能性を示唆していました。

「仮名シリーズ」は、発表以来100を超えるファミリーに成長しています。
今日は「仮名シリーズ」の話しの前提として、日本が使用する文字のことから話を始めさせていただきます。



日本では、1世紀頃に漢字が中国からもたらされ、その後、5世紀頃に漢字を使い出し、6世紀から7世紀にかけて漢字で読み書きできる能力をもった人が増え始めたとされています。

それまで、日本の言語を表記する文字はなく、本来中国の言葉を表記するための漢字を使用して、
構文の違う日本の言語を表現するためには、様々な工夫が必要でした。

日本語で、例えば「私は本を読む」は

我.jpg

漢字が日本に渡来した頃の表記法では、図版のように、書いていました。
一番上の漢字が「私」を意味します。中の漢字が「読む」で、最後が「本」となります。これは、日本語の構文とは違います。

その後、それほど、漢文の知識がなくとも読めるように

私.jpg

図版のように表記するようになりました。一番上の漢字が先の図版の漢字と違いますが、同じ意味で、日本ではこちらの漢字がよく使われます。

2文字目の漢字の左下のローマンアルファベットの「L」に近い記号を「返り点」と呼びます。一文字飛ばして次の文字を読み、再び戻って先の文字をよむことで、日本語の構文になります。

それがさらに進み、漢字の「音」を使用して、様々な言葉を表現するようになり、その時、使用された漢字を、真仮名(まがな)と呼びます。
それが草書で書くようになり、さらに略された文字を「草仮名」と呼んでいます。

波.jpg

図版上左の漢字は、音読むでは「は」、つまり、真仮名の「は」でもあります。
下左から順に「草書」。さらに略された「草仮名(そうがな)」。そして「ひらがな」の「は」です。右端の上は、明朝体の漢字「波(なみ)」で、下が明朝体の「ひらがな」の「は」です。

そして、「てにをは」と呼ばれる日本語の助詞などにも、「草仮名」を使って表記するようになります。

ピクチャ 1.png

ようやく図版のような「私は本を読む」と書く「漢字仮名交じり文」が誕生し、普及しました。

この「は」「を」「む」が「ひらがな」で、さきほどの大文字の「L」のような漢文を読むための記号から「カタカナ」が生まれます。現在では「カタカナ」は主に外来語の表記に使われています。

ピクチャ 10.jpg

例えば図版のように、「BOOK」をカタカナで表記することもできます。

直線の多い「漢字」と、草書から発展した曲線によって構成された「ひらがな」、楷書の一部を用いて、非常に単純に記号化された「カタカナ」という、構成要素、密度に違いがある文字を交ぜ書きすることで、文章の区切りを読み違えることも少なく、単語ごとのスペースも必要なく組版が可能なのです。

ピクチャ 5.png

図版は、先ほどの「私は本を読む」を「ひらがな」だけで書いたものです。
この場合には、最後まで一字一字読まなくては意味は分かりません。

博文館 尋常小學校讀本.jpg

図版は主に、ひらがなで表記された、小学校低学年用の古い教科書です。「ひらがな」が「分ち書き」されています。



これまで、日本のタイプフェイスデザインは、表記方法の違いには関係なく、ローマンアルファベットの統一された組面は一つの目標でした。

しかし、それは、表面的な均一さを求めることでしかありません。そのため、画数が少なく、形の自由度の高いひらがな・カタカナは漢字に近づけるように変形され、本来の美しさを失い、やがては、日本のタイプフェイスは長い歴史が育んだ美意識を失ってしまうでしょう。

私は、そのことに大きな疑念を感じていました。それが「仮名シリーズ」を制作した動機の一つです。

漢字離れが進んでいる現在の一般的な文章では仮名の量は60から70%を占めているとされています。

「漢字が30%ほど含まれている文章は読みやすく、30%以下では締まりがなくなり、40%ではいくらか硬い感じになる。」という研究報告もあります。

それらのことを踏まえて、私は、1984年に「小町・良寛」と名付けた仮名を発表し「仮名によるファミリー」を提案しました。

一般的に、タイプフェイスは、元となる一つのデザインから派生したファミリーで構成されます。ファミリーとは線幅(ウエイト)、ボディーの縦・横の比率などの変化によるバリエーションのまとまりのことです。

「仮名によるファミリー」とは、日本語フォントの多様化を実現するために「一つの漢字に対して複数の仮名を作る」ことです。

日本では、漢字の字数が多いため、ローマンアルファベットのようなファミリーを持つタイプフェイスを制作することが難しく、活字時代にはサイズごとに一つのウエイトを持つだけでした。

見出し用タイプフェイスは太く、それより小さなサイズのタイプフェイスは、順に細いものが制作されました。それぞれが、同じデザイナーやチームでデザインされていたとしても、サイズごとにデザインされ、厳密な意味でファミリーと呼ぶことのできるタイプフェイスは作られなかったのです。

続く、写植の時代になると、太いウエイトから細いウエイトまで、同じコンセプトでデザインされるようになりましたが、ローマンアルファベットのファミリー概念をそのまま日本語に合わせたものが殆どでした。

私は日本には、日本語の仕組みに合ったファミリーが考え出されなければならないと考えました。

それまで、漢字に対して、仮名をワンセットで制作することは、誰一人として疑うことのない常識でした。

しかし、それはタイプフェイスを制作する側の常識です。タイプフェイスを使用するタイポグラファーの間では、セットではない漢字と仮名を組み合わせて使うことは珍しいことではありませんでした。

黒沢田楽.jpg

図版は、48年前、私が24歳のころにデザインした写真集です。そのタイトルの漢字と仮名は、別の活字書体の清刷りを組み合わせて使用しています。、私が「小町・良寛」の制作を始める10年も前のことです。

日本のタイプフェイスの標準の漢字制作字数は約6000字です。それに加えて、仮名を含む非漢字の制作が必要で、制作総字数は約7000字にもなります。

私が書体デザインを始めたころに、1書体完成に要する時間は、一人のデザイナーにアシスタントデザイナー2~3人のチームで2~3年は必要でした。コンピュータの使用により、幾分、労働集約的な作業が減りましたが、あいかわらず、漢字の字数はタイプフェイス制作のおおきな壁です。

ところが、日本語組版の表情は、「ひらがな」がその多くを担っています。つまり、「ひらがな」を変えるだけで組版のイメージを大きく変化させることができます。しかも、仮名はたった169字です。その効果は明らかです。

この提案を支えるのは、我々の先人が選んだ「漢字仮名交じり文」の美意識です。

漢字は表語文字です。表語文字から、我々の先人は表音文字の「ひらがな」「カタカナ」を創りだしました。一般的に文字は表語文字から表音文字に進化します。それに従えば、日本語を「ひらがな」あるいは「カタカナ」のみによって表記することも可能です。

その運動も過去にはあり、そのためのタイプフェイスも制作されました。しかし、我々の先人はそれを選択しませんでした。

さらに、「ひらがな」と「カタカナ」という、同じ「音」を持つ2種の文字を我々は使います。これも、単純に考えれば二つは必要ありません。

しかし、漢字と仮名のテクスチュアの違いを選択したように、「ひらがな」と「カタカナ」のテクスチュアの違いでその内容を現すことを選択しました。

確かにローマンアルファベットのテクスチュアとカラーが整った組版は美しいものです。

しかし、文字はその形態によって、伝達、記録するための道具です。

美しいから良く読めるのではなく、良く読めるから美しいのです。

「漢字」と「ひらがな」「カタカナ」の構成要素、密度を揃えた組版は、日本語の表記では、かえって読みにくく、その意味で、私は、そのような文字を美しいと思いません。



それでは、ここから、私の「仮名シリーズ」を具体的に説明させていただきます。

「仮名シリーズ」は、次の3種類の「ファミリー」で構成されています。

「ファミリー」は、書体の太さのバリエーション「ウエイトのファミリー」が
最も一般的なものですが、私は、それに、「骨格」と「エレメント」のファミリーを加えました。

骨格あ.jpg

具体的に説明すると、まず、様々なテキストの要求に応えるために、
「書」の要素が強い骨格から、一般的と思われる骨格まで、5種類の性格の違う骨格を選択し、明朝体の仮名をデザインしました。

それが、一番目の「骨格のファミリー」です。
左から「築地」「小町」「行成」「良寛」「弘道軒」です。

「行成」「良寛」は、古筆の骨格です。「弘道軒」「築地」は、日本の古い活字を復刻したものです。「小町」は私のオリジナルな骨格です。

ウエイトあ.jpg

次に、それぞれを4種類のウエイトで制作します。これが、2番目の「ウエイトのファミリー」です。合わせて20種のファミリーとなります。図は弘道軒の「ウエイトのファミリー」です。

さらに、それぞれにゴシック体他のエレメントを付します。これが3番目の「エレメントのファミリー」です。もちろん、それぞれに必要なウエイトを制作します。図版は行成の「エレメントのファミリー」です。

行成あ.jpg

このすべてが「仮名によるファミリー」となります。

小町.jpg

図版は、「仮名シリーズ」発表の展示会のポスターです。
「小町」の最も太いウエイトの「じ」を大きくしたものです。

一般的な「じ」の形は、縦に真っ直ぐではなく、ローマンアルファベットの大文字の「J」を水平に反転したように、最後は右に伸び、上にはねるのですが「書」ではこのような形にも書きます。

「仮名シリーズ」では基本的に縦組みを想定していましたので、このような形を採用してみました。

時に「小町・良寛」を楷書体と組む方もいます。筆で書いたスクリプトのタイプフェイスと思われたのでしょう。たしかに私の「仮名シリーズ」は「書」の要素が強いのですが、漢字と仮名のテクスチュアを揃えることは、私の考え方とは相容れません。

私の目的は、日本語の「漢字仮名交じり文」から、必然的に導きだされた、日本語のタイプフェイスの「仮名」による多様化です。

その多様化も、ディスプレイタイプを増やしたいのではありません。もちろん、スクリプトでもなく
ディスプレイタイプとして使用されることもあるでしょうが、私の考えるのは、どこまでも、本文用書体の多様化です。

へのポスター モノクロ.jpg 

図版は最初の「仮名シリーズ」の「骨格のファミリー」で最も太いゴシック体の「ひらがな」の「へ」を並べたポスターです。

最も単純な骨格の「へ」の形の違いを比較すると同時に、「へへへへへ」と5つ並ぶと、日本人ならば「笑い」を連想するでしょう。それを狙ってデザインしたものです。



ファミリー図.jpg

図版は、完成した「仮名シリーズ」のファミリー図です。
最上段は、組むことを想定した漢字です。その下の「かな」はその漢字にセットされたものです。

スペースの下が「仮名シリーズ」となります。縦軸が骨格のファミリーで、上から「築地」「小町」「行成」「良寛」「弘道軒」です。

横軸が、ウエイトとエレメントのファミリーです。左から、明朝体の4ウエイト。横太明朝体の2ウエイト。ゴシック体の5ウエイト。丸ゴシック体の3ウエイトです。

このファミリー図には、明治時代にアンチック体として試みられた、ゴシック体の漢字に対して明朝体の仮名を使用するという組版方法が含まれています。

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図版の3行目と7行目に10行目に、ゴシック体とアンチック体の混植が使われています。この手法は現在でも漫画の吹き出しなどで使われています。

図版は、最近の漫画の話題作、吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)氏の「鬼滅の刃」の1コマです。

アンチック.jpg 

このように、ゴシック体とアンチック体の混植は、現代の若者たちにも、何の抵抗もなく支持されています。

ここでは、縦組みが使用されています。現代の日本では横組みが増えていますが、出版物においては、読み物はもちろん、若者たちを対象の漫画においても、縦組みが主流です。このことは、日本のタイプフェイスを考える上では無視することのできない問題ですが、今回はそのことを指摘するだけに留めます。

現代の我々よりはるかに「書」に対する素養が豊かだった明治の人々が、ゴシック体の漢字に、明朝体のエレメントを持つアンチック体の使用を採用したのです。

それは、このような組版が伝統的なタイポグラフィから、はずれていないと同時に、「漢字」と「ひらがな」「カタカナ」という、構成要素、密度に違いがある文字の交ぜ書きが、読むことに何の支障もないことを語っています。

このことは、「漢字」が直線的な楷書から様式化(デザイン)され、「ひらがな」は、曲線による草書からデザイン化されたことと無関係ではなく、「ひらがな」には、より書的な要素が残ることが好まれ、それに対する「漢字」をゴシック体にすることにも違和感が無く、その両者のエレメントの違和感よりも「漢字」と「ひらがな」の出自に関係する本来の性質のほうが優先されているのです。

日本では、「漢字」と「仮名」だけでなく「ローマンアルファベット」とも混植されます。それらとの調和も重要な問題です。

私はBOOKを読むのコピー.jpg

例えば、私の目には、ヘルベチカと、日本の活字時代からの一般的な骨格を持つゴシック体は、実に良く調和します。伝統的なエレメントを持つ明朝体とローマン体が調和するように、それぞれの国の伝統をふまえてデザインされた書体はよく調和すると思えます。

このことは表面的なエレメントや構成要素の違いよりも、文字本来の固有の形から離れた違和感の方が、より抵抗感があるということを我々に教えてくれます。



「小町・良寛」をデザインした頃に、私が想定したことの一つが、仮名の明朝とゴシック体を同じ骨格で作成することでした。それによって、見出しにゴシック体、本文に明朝体を採用したときにも、同じフォントファミリーで組版できることになります。

仮名シリーズのファミリーを完成するために順次デザインしている頃、アメリカのサムナー・ストーン氏がデザインした「Stone」を知りました。「Stone」も同様な考え方で、セリフ、サンセリフ、そしてインフォーマルと呼ばれる新しいデザイン書体の、3種のサブファミリーから成り、それぞれのデザインにローマン体とイタリック体があります。そして、ウエイトは3種、計18種のファミリーでした。

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「Stone」のファミリーと私の仮名ファミリーは、エレメントが違うタイプフェイスを同一のファミリーと考える点では、同じ意図を持っていました。

それまで、本文に明朝体、見出しにゴシック体を使用した場合、その書体間に統一は考えられていませんでした。

しかし、その2書体は、同じ性質を持つタイプフェイスで組まれるのが自然です。もちろん、異なるタイプフェイスの選択が間違いではありませんが、それが、タイプフェイスが用意されていないために選択できないということは残念でしかありません。

もちろん、漢字も含めた「エレメントのファミリー」を作り出すことは理想ですが、「ひらがなのスタイルによって、そこに表現される感じはがらりとかわる」日本語の組版では、仮名による「エレメントのファミリー」によって、その目的の多くを満たすことができます.。



ファミリーを、「一つのデザインから派生したバリエーション」と考えるならば、エレメントは違っても骨格を同じくするタイプフェイスをファミリーとすることは否定できないでしょう。

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図版上は、藤原行成の関戸本古今集の筆跡です。

藤原行成は日本の仮名を完成させた一人で、その影響が現在まで続いています。その書風を「仮名シリーズ・行成」にリデザインしたものです。

中が、明朝体の「行成」、下が、ゴシック体「行成」です。

私は、このような古筆のタイプフェイス化もリデザインと考えています。

骨格は民族の歴史を流れ続ける本質的な姿と言えます。エレメントは歴史の一頁で、時代を代表するファッションのようなものです。

完成された骨格は、古くは筆記具の変化で、その後は、複写技術の進歩とともに変化してきました。つまり、完成された骨格に付されるエレメントが時代と共に変化し、時代と共に進化することで、完成された骨格、つまり民俗の美意識は、次世代に伝えられます。

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図版は仮名シリーズ「弘道軒」の復刻です。

元となったものは「弘道軒清朝体」と呼ばれる楷書体の1種でした。

それを、明朝体の仮名シリーズ「弘道軒」としてリデザインし、その後ゴシック体にもリデザインしてみました。

このように、古く使われなくなっていた活字書体の復刻もこれからますます重要となるでしょう。同様に、藤原行成を始めとした、古筆からのタイプフェイスにも可能性があります。

私たちは、完成された骨格、つまり民俗の美意識を次の時代に受け継ぐ責任があります。その意味で、タイプフェイスデザインの多くは、その時代の複写技術に適したタイプフェイスにリデザインすることです。そして、完成された骨格、つまり民俗の美意識に謙虚でなくてはならず。決して、新しい骨格のタイプフェイスを作り出すことではないと、私は考えています。

仮名シリーズの「良寛」は、シリーズの中では最も独創的な骨格を持っていますが、それは決して日本の文字固有の形から離れたものではありません。

「江戸時代後期の禅僧「良寛」は、温かく人間味と自由な個性溢れる書を多く残しました。近年、その評価はますます高まっています。良寛の書は中国や日本の古典を学び、独自の書風を作り出しました。自由奔放でありながらも伝統をしっかり学んだものです。

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図版右が「良寛」の「書」です。中が、仮名書体「良寛」の制作途中。左が、完成した仮名書体「良寛」です。

仮名シリーズ「良寛」はその書から骨格を求め、タイプフェイス化にあたり、書風にできる限り忠実に創作を試みたものです。

良寛の遺墨には、現在使用されている仮名の骨格と違ういわゆる変体仮名とされる字体も使われていました。それらは、良寛の他の字体を参考にして現代人にも読める形に、良寛の書風に合わせて制作してみました。

漢字と仮名が伝統に裏づけられた文字固有の形を持った場合、そのテクスチュアには必然的に差ができます。

それが日本語組版の特長であり、漢字と仮名は、伝統に裏づけられている範囲で不統一が許されます。どのような文字でも組み合わせが可能な訳ではありません。これは、とても重要なことです。



「仮名シリーズ」は、既成の漢字と、それに合わせる仮名を選択し、写真植字やコンピュータで組版するつど組み合わせて使用します。

画数の多い漢字では仮名ほどの骨格の変化は表現しがたく、当初の、私の提案が仮名を中心に展開したのはそのためでしたが、エレメントやウエイトのファミリーは漢字にも適応できるものです。

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2018年に、私は、新しい見出し明朝体「味明」と、そのエレメントをシャープにした「味明モダンを発表しました。この2書体は、同じ骨格の漢字によるエレメントの違うファミリーです。

図版左が「味明」。右、「味明モダン」です。

私は、明治以来の活字の匂いがする新しい見出し明朝体を長い間欲していました。それは、欧文フォントの「ボドニ」のように、縦画がくっきりと太く、垂直でまっすぐ、横画は細く水平で、エレメントはしっかりと強い明朝体です。

「味明」のエレメントをさらにシャープにしたのが「味明モダン(Modern)」です。「味明モダン」は縦画の位置、太さは全く同じで、撥ね、払いの終筆のエレメントも同じです。違うのは縦画の始筆終筆のエレメントの天地を縮めシャープにしたこと。横画を細く、太さに変化のない線とし、始筆も垂直にカットしています。終筆のウロコも同様にシャープにしてみました。

エレメントは可能な限り統一しながら、古くからの筆押さえ(ひげ)など、近年の明朝体では省略されがちなエレメントも排除しない。そんな明朝体を目指しました。

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図版の、1が「味明モダン」の「筆押さえ(ひげ)です。実は2、3,4、5のエレメントも筆で書かれた結果の様式化なのですが、「筆押さえ」だけが、省略される風潮が私には理解できません。最近の、日本のタイプフェイスの制作では、伝統が軽視されがちなのは残念です。

私は、伝統に忠実でありたいと思います。先にも言いましたが、古く使われなくなっていた活字書体の復刻や、藤原行成を始めとした、古筆からのタイプフェイス化には、まだまだ無限の可能性があります。

「小町・良寛」を始めとした「仮名シリーズ」では漢字と仮名をその都度組み合わせるシステムに慣れない現場の混乱を避けるため5種の仮名に限定しました。

その後、DTP時代となり、私の提案したシステムは「組み替えフォント」として標準的なシステムとして定着しました。

そのため、「味明」の「仮名」は5種から10種に増やしても、現場は対応できると私は判断しました。

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私は20代の頃から、古い活字で印刷された書籍を古本屋で買い求め、手作りの仮名活字の見本帳を作っていました。

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今回の「味明」での「かな」の骨格は、手製の見本帳の中から7種、平安時代から現代に続く仮名の伝統を踏まえた「書」の骨格から3種を選んでみました。

筆記体に近いものから、活字の復刻やモダンな仮名まで、10種の仮名のバリエーションがあれば、あらゆる用途に使えるでしょう。



私のデザインによる「味明」と、その「かな」を使用した例を、わずかですがお見せします。

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落語のポスターです。最も書道的なかな「草」を使用しました。

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私が発行・編集する季刊誌「そう」のロゴタイプには、かな「弘」を使用しています。この雑誌の本文には、この後紹介する「味かな10x10」の10種の「かな」で組版しています。

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「写真集「 晴れの日と 常の日と」にはかな「弘」を使用しています。もちろん、本文も「弘」を使用しました。

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劇場の公演スケジュールを紹介したポスターでも紙面全体を、「味明」と、かな「弘」で埋めてみました。このようなデザインでは、書体のエレメントが醸し出す雰囲気が、すべてを決します。




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そして、「味明」と同時に、その10種の骨格に対して、10種のウエイトを持つ「味かな10×10」も発表しました。

「味かな10×10」は既存の漢字書体と組み合わせて使用しますが、オーソドックスなものから、やや個性の強いものまで、10種もの性格が違う骨格を持つ仮名があれば、あらゆるテキストに対応できるでしょう。そして、10種のウエイトがあれば、あらゆる既存のフォントと組み合わせて使用することができます。

次からの図版は、「味かな10×10」と既存の漢字を組み合わせてみたものです。

日本語の組版に慣れない皆さんには、あるいは、その差を認識することが難しいものですが、本日の最後に、「味かな10×10」全100書体の仮名のバリエーションを見ていただきます。

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「味かな弘」です。「弘道軒清朝体(せいちょうたい)」の復刻です。男らしさと、力強さを持った、日本の活字書体の名作の一つです。

右から順に細いものから、太い明朝体です。明朝体の最後が「味明」です。最後の3行はゴシック体の漢字に明朝体の仮名を組版したものです。

なお、日本のタイプフェイスは基本的にはモノスペースです。見出しなどでは字間を調節して組版されますが、この組み見本は、そのままモノスペースで組版しています。

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「味かな民」です。古くからの活字書体ですが、現在もデザイナーに人気があり、新聞・雑誌広告の他パンフレットなどのタイトルに好んで使われています。

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「味かな秀」です。「築地体」と並ぶ、活字時代を代表する「秀英体」の復刻です。「秀英体」からは、3種類の骨格を選んでみました。「秀」は秀英体の見出し用明朝から、もちろん見出し用の太い書体しかなく、そこから骨格を取り出し、本文用のウエイトまで、新たに制作してみました。

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「味かな秀L」です。講談社の大字典の索引に使用されていた、おそらく18ポイントからの復刻です。

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「味かな秀V」です。古い印刷物から集字した手製の活字見本帳からの復刻です。「秀英体」は書的に見れば癖の強いものですが、それが人気な書体です。

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味かな築」です。「築地体」は「秀英体」と並ぶ活字時代を代表する二大活字潮流の一つでした。その影響は現代のタイプフェイスにも大きな影響を与え、度々復刻が試みられています。

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「味かな築C」です。古い築地体の骨格です。明朝体とは思えないほど、書的で、優雅な書体です。

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「味かな良」です。江戸時代後期の禅僧「良寛」は自由奔放な独自の墨跡を数多く残しました。独創的でありながら、仮名本来の伝統的な形を持っています。

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「味かな行」です。藤原行成は、平安時代の仮名書の完成者の一人です。築地活版の書体にも影響を与えた日本の仮名の原点と言える骨格です。

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「味かな草」です。平安時代中期の、かな書道完成期の骨格を、筆文字の風合を残したまま仕上げてみたものです。



私は、仮名シリーズ発表以来、自作の書体と、自作の仮名に想定した漢字を使用して、全てのデザイン活動を行ってきました。小さな出版社も運営していますが、そこで、使用するタイプフェイスも全て自ら制作してきました。

私は、納得するタイプフェイスがないために自作するようになり、このような場で、お話させていただいていますが、

日本では、タイプフェイスのデザイナーは、制作字数の多さにより、専業しか考えられず。残念ながら、優秀な才能がそこに参加しにくいのです。

そのため、タイプフェイスのデザイナーが、タイポグラファーが本当に必要なタイプフェイスを知ることが難しいのです。それは、日本のタイプフェイスデザインの大きな問題だと私は考えています。

私も試みていますが、近年、活字時代のタイプフェイスの復刻が多いことと、それは無関係ではないと思います。

また、私の「仮名シリーズ」が40年前に、皆さんの支持をいただき、今もこのような場にお呼びいただけるのも、同じ理由なのだと思います。

作りたいタイプフェイスではなく、使いたいタイプフェイスが必要なのです。

良いタイポグラフィには、その前提に良いタイプフェイスが必ず必要です。
そして、新しいタイプフェイスは必ず新しいタイポグラフィを生み出します。
そして、良いタイプフェイスは可読性も当然満たしています。
ということをお伝えして、本日の私の発表を終わらせていただきます。、

長時間、ありがとうございました。



「味明」「味かな10×10」については
http://www.ajioka3.com/ajimin/ajimin.html
をご覧ください。
「味かな10×10」のさらに大きな組見本をご覧になれます。


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見出し明朝体「味明」が完成。

1984年に「小町・良寛」という仮名書体を発表してから、早いものでもう35年以上が過ぎてしまった。
 以来、いつかは自らのために見出し明朝体を作りたいと思い続けてきた。
 コツコツと一人で制作してきたため、とても多くの時を費やしてしまった。まだまだ、すべきことは残るが、ここらあたりで一区切りすることにした。
 それでも、今回、2種の見出し明朝体「味明」と「味明モダン」と、それに合わせた10種の仮名と、本文用に仮名だけだが10種を同時に発表することができた。
 そして、その制作の間に学んだことなどを、制作した書体と共に「味岡伸太郎書体講座」という一冊にまとめてもみた。
 さらに、3月と4月には、東京と大阪で「味岡伸太郎 味明物語 大阪展 東京展」を開催する。これまで、作品の発表は全て、美術ばかりで、新作のポスターを一度に30点以上、それも個展形式で発表するのは、デザイナーとなって半世紀、初めてになる。制作途上の「味明」を使用した、書籍などの展示する。
 両会場共、初日にはエディトリアルデザイナーの祖父江慎さんと白井敬尚さんとの座談会も行うことになり、楽しみにしている。

詳細は http://www.h-n-a-f.com/book-etc/syotaikouza2018.html

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峠へ 制作開始 [アート]

景象107号の〈表紙の言葉〉に寄稿した。
「あいちトリエンナーレ2016」に
出品する〈峠へ〉について書いた。

〈表紙の言葉〉
まもなく「あいちトリエンナーレ2016」が開幕する。美術、映像、音楽、パフォーマンス、オペラなど、現代行われている芸術活動をできるかぎり「複合的」に扱おうとする国際芸術祭。三年に一度、愛知県で開催される。第3回となる今回は「虹のキャラバンサライ 創造する人間の旅」というテーマのもと、日本をはじめ世界中から選ばれた、百組を超えるアーティストが作品を発表する。キャラバンサライとは「隊商の宿」。キャラバンが旅の疲れを癒す休息の場。名古屋の愛知芸術文化センターをはじめとした名古屋、豊橋、岡崎の各会場で開催される。
 私は、テーマにあわせ、愛知県から旅するために通過した、静岡・長野・岐阜・三重の県境の峠や渡場から土を採取し、それを、縦244×68センチの綿布70枚にドローイングする。

峠へ 制作風景.jpg

愛知芸術文化センターの、24×12メートル、高さ5メートルの展示室の壁を峠の土で覆いつくそうと考えている。プロジェクト名は「峠へ」。決めごとは、峠をおとずれ、そこから見渡す範囲で、最初に露出していた土を3段採取することだけである。土は選ばない。旅は豊橋市細谷の太平洋を望む海岸からはじめた。

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天竜川、矢作川、木曽川、長良川沿いの山野を越え、伊勢湾を望む木曽岬まで、行程は約1500キロ。採取した土のドローイングは、現在12枚目の新城の陣座峠に到達。まだまだ先は長い。旅に目的地など必要は無い。ただ、土がつきるまで淡々と描き続けるだけである。まもなく旅の過ごし方が形となる。

本展とは別に愛知県の
一宮、大府、安城、設楽の各会場に移動する
モバイル・トリエンナーレが
8月~ 9月の週末に開催される。
http://aichitriennale.jp/mobile/index.html
私は一宮、大府、安城、設楽で
露出した地層からそれぞれ16段採取し
182×152センチの小品4点を出品する。

同時期開催される
サンセリテの個展でも
モバイル・トリエンナーレと同じく
豊橋市内で採取した作品を制作する。

豊橋.jpg

豊橋では素晴らしく華やかな
赤い地層に遭遇した。
地層は最初に出会った場所で採取する。
いつものことだが
選ばないと
結果その土地を象徴するかのような
土と出会うことが出来る。



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あいちトリエンナーレの作品「峠へ」 土の採取開始 [アート]

あいちトリエンナーレのテーマは
「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」

今回のプラン「峠へ」では
愛知と県境を接する
静岡、長野、岐阜、三重県との県境の峠で土を採取する。
地図上のプランでは約六十数カ所となる。

日本のように
温暖で雨量にも恵まれた環境では
工事や自然災害でもない限り
土は緑に覆われ、簡単には露出していない。
山間部の多い、今回の旅は、
特に厳しい旅(採取)になるだろう。
それだけに結果が楽しみである。

暖かくなり、桜も咲き
やっと、冬眠から覚めたかのように
あいちトリエンナーレの
土の採取の旅が始まった。
最初は、愛知県と静岡県境の海岸から
目の前は太平洋。

土採取太平洋.jpg

海岸の土を採取
用意の地名のラベルを貼る。

土採取海岸.jpg

峠へと向かう。
今回は3段を採取。
愛知と静岡・長野・岐阜・三重の県境の峠を辿る。
当初計画では64カ所なのだが
どうやら、増えそうである。
70カ所程度になりそうだ。

土採取細谷.jpg

どんな土や
どんな場所で採取できるのか
楽しみである。
いつものように、場所、色は選ばず
土がでていれば必ず採取する。
その後、綺麗な土に出会っても採取はしない。

土採取黒沢.jpg

沢に土が露出していれば
最高の条件である。
混ざりけのない
本当の自然な状態である。
しかし、県境の峠で
峠から、見える範囲で徒歩で行ける
場所という、今回の設定では
取りやすい場所など望めない。

土採取佐久間ダム.jpg

危険な場所では採取したくはないのだけど
ここしかなければ、しかたない。
腐葉土交じりだが
その分、濃い茶色の土である。

土採取20カ所.jpg

今回採取できたのは20カ所
まだ残り、50カ所。
先は長い。
旅は始まったばかり。



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第10回トリエンナーレスクール「素材で表現する」レポート2 [アート]

2015年12月5日(土)
穂の国とよはし芸術劇場PLAT
アートスペースにて開催された
第10回トリエンナーレスクール
「素材で表現する」の
イベントレポートが下記ブログで
紹介されていました。

画像は美しくはありませんが
ほぼ全てが記録されています。

http://art08.blog.fc2.com/blog-entry-52.html



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第10回トリエンナーレスクール「素材で表現する」 [アート]

2015年12月5日(土)
穂の国とよはし芸術劇場PLAT
アートスペースにて開催された
第10回トリエンナーレスクール
「素材で表現する」の
イベントレポートがアップされた。

IMG_3553.jpg

「トリエンナーレスクール」とは、
あいちトリエンナーレ2016に向けて、
現代アートを楽しみながら学ぶ
レクチャーシリーズ。

トリエンナーレ招待アーティストとして
講師を務めた。

あいちトリエンナーレ2016
チーフ・キュレーターの拝戸雅彦さんが
進行役となり

冒頭で拝戸さんより
トリエンナーレが3回目を迎え
県としてのふさわしい規模感と
広がりのある展開を目指して
豊橋にも会場が作られることが話された。

その後
私が招待された理由と
ここ25年ほど土を使って制作した
仕事を紹介し

最後に
今回のテーマである
「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」に
導かれた新しい旅「峠へ」の
構想を語らせていただいた。

因みに私は
豊橋会場ではなく
愛知県美術館の
一室を使って発表する。

これまでの「土」による行為で
最も大きな仕事となる。

詳細は

http://aichitriennale.jp/blog/index.html



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