景象〈表紙の言葉〉101,102 [アート]

景象101号の表紙の言葉と同じ内容を
すでにブログでは書いたしまったので
覚えている方は飛ばして
102号だけ読んでください。
と言っても
確認する間に読み終わってしまいそうだが…

景象〈表紙の言葉〉101号

形象101.jpg
垂直考:立方体の出隅と同一のアールを入隅に持つアングルは直立する

前号では「水平考」だったが、今回は「垂直考」である。今回も、やはり「垂直」であることに意味はない。
 表紙の作品を発表した個展を見たある浄土真宗の住職が、ブログで次のようなことを書いていた。
 古くインドの龍樹菩薩の著書・大智度論の「 指月の譬」に「人の指を以って月を指し、以って惑者に示すに、惑者は指を視て、月を視ず。人、これに語りて、『 われは指を以って月を指し、汝をしてこれを知らしめんとするに、汝は何んが指を看て、月を視ざる』、と言うが如く」(月を知らせようと、指で指し示すのだが、愚かな者はその指ばかりを見入って、月を見ないままである」という、言葉とそれが知らせようとするものが異なることを告げている。)
 たまたま目にした鉄の立方体の全ての出隅にアールがあった。側にあった鉄のアングルの入隅もぴん角ではなくアールを持つ。添わせてみるとピタリと合う。倒れる可能性で残るのはアングルの面に添った方向のみ。立方体の上面の対角線上に立方体と同じサイズの石を置くと、安定して、アングルを垂直に立てることができた。この全ての発想と手順と結果の三者が同時に訪れたとき、制作は始まり、同時に完了する。だが、その三者、いずれも「月」ではなく、「月」の美しさを示したいのでもない。知らしめ、知りたいのは「何故、月は美しくあるのか」である。

景象〈表紙の言葉〉102号

形象102.jpg
垂直考:直角に屈折する線分は一つの重力で直立する

前号、で、知らしめたいのは「何故、月は美しくあるか」である。と書いて字数がつきてしまった。今回はその続き。
 通常、美術は、美しいものを創りだすことが目的とされている。その意味に限れば、美術家が示すのは「月の美しさ」とも言える。しかし、美しさを求めることは、技術的であったり、表面的な美しさにつながる危険が常にある。美しさをことさら求めずとも、必ず美しいものが生み出される行為のあり方。それを探し求めること。それこそが、私の求める現代美術であり、現代美術が常に新しさやオリジナリティに価値を見出す理由なのだ。それが、知らしめたいのは「何故、月は美しくあるか」と書いた理由でもある。それを造形と美術の違いと言い換えてもよい。造形とは、形を作ること。美術とは、美とは何かと考え続けること。
 満月はもちろん美しい。しかし、三日月も半月も雲に隠れた月も、好みは人それぞれだが、美しい。まったく見えなくとも、想像した月もまた美しい。自然は本来美しい。しかし、自然自身がそれを望んだわけではない。月の美しさを見いだしたのは人間である。月はその美しさを知らない。満月を美しく思い、満月を望むのは、人の作為である。三日月や雲に隠れた月の侘びた美しさをことさら愛でるのも、同様に作為である。人は作為なくして、行動はできない。しかし、作為に囚われていては、何も見出さず、創り出さない。答えは人間の「作為」に関わっている。



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