「そう」42号 [出版]

長い長いごぶさただった… 
ようだ…
忙しかったわけではない。
時間はたっぷりあった(筈)だ…

それが証拠に
ただ暇つぶしにしか価値のないような
文庫本の時代小説を
日に4冊も読み続けた日々もそのなかには
しっかりふくまれている。

その上、とうとうというか、晴れてというべきか
その間に、65歳になってしまった。
つまり、高齢者の仲間入りということだ。

「そう」の42号も出た。

そう42表紙.jpg

この号はキーワードが「文」であったため
文字について書く必要があり、
小さなコラムを含めて11本も担当してしまった。
それなのに、執筆には三日しか余裕がなかった。
重ねてだが、忙しかったわけではない。

これでは、引退間近の高齢者ではなく
過酷な「老働者」ではないかと思うのだが
周りの若者たちは、
自業自得と(冷たく)相手にもしてくれぬ…

以下は、巻末の編集後記ならぬ「街頭録音」の一席

「今年2月に65になる。
本号が届く頃には、晴れて高齢者の仲間入りである。
数年前、新城市湯谷温泉近くの宇連川沿いに僅かばかりの土地を手にいれた。
荒れた土地を整備し、小屋は自力で改装。
ゆっくりと里山の生活を楽しみだしている。
木炭窯でぐい呑みを焼いたり、野草料理の会を催し、現代美術展も開催した。
昨今、我々の周りには、過疎、少子化、高齢化、地域経済の崩壊、
原発事故、グローバル化への疑問や反省と、否定的な言葉ばかりが飛び交っている。
しかし、嘆いていても何も始まらない。
例えば、先の「湯谷の家」。
過疎故に私ごときが手にいれ、新たな活動の拠点が生まれたのである。
求められているのは発想の変換なのだ。」
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