月と垂直考 [アート]
今回の「垂直考」の個展を見た
ある浄土真宗の住職が、
タイトルは「垂直考」ではあるが
垂直であることに
意味はないのだろうと
ブログで書いていると知らされた。
下記はその内の重要な一節の要約
全文はブログで
http://shotaiji.blog.so-net.ne.jp/2014-11-13-1
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古くインドの龍樹菩薩の
著書・大智度論の「 指月の譬」に
人の指を以って月を指し、
以って惑者に示すに、
惑者は指を視て、月を視ず。
人、これに語りて、
われは指を以って月を指し、
汝をしてこれを知らしめんとするに、
汝は何んが指を看て、月を視ざる、
と言うが如く
月を知らせようと、
指で指し示すのだが、
愚かな者はその指ばかりを見入って、
月を見ないままである」という、
言葉とそれが知らせようとするものが
異なることを告げている。
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たまたま目にした
鉄の立方体の全ての出隅にアールがあった。
側にあった鉄のアングルの入隅も
ぴん角ではなくアールを持つ。
添わせてみるとピタリとあう。
倒れる可能性で残るのは
アングルの面に添った方向のみ。
立方体の上面の対角線上に
立方体と同じサイズの石を置くと、
安定して、
アングルを垂直に立てることができた。
と、まあ、このように
発想と制作の手順と結果の三者が
同時に訪れたとき、
私の制作は始まり
同時に完了する。
だが、その三者、
いずれも「月」ではなく、
「月」の美しさを示したいのでもない。
知らしめ、知りたいのは
「何故、月は美しくあるのか」である。
2014-11-17 15:27
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